分析家の独り言
人間関係がスムーズにいけば、ほとんどの問題は解決するように思う。
親子、夫婦、兄弟、嫁姑、親戚、友人、隣人・・・。
人は他者から自分がどう見られているかを気にする。
変だと思われないだろうか、嫌われないだろうか・・・と腐心する。
排除され、否定され、非難され、拒絶せれ、攻撃されるのではないかと恐れる。
これら見捨てられ不安につながる。
こうなると生きづらく、人と関わるのがおっくうになり、ひきこもりがちとなる。
現実とは関係なく、このマイナスの想像がその人の中でぐるぐるまわる。
ならば、なぜ他人に対してそのようなイメージを持ったのか。
そうなるにはそうなる理由がある。
人を友好的に見るのではなく、敵対視し恐れるイメージを心に内在化する何らかの現実を積み重ねたのだろう。
その最初が、人として生まれて最初の対象である母との関係にある。
後に父、そして家族、それが地域社会との関係に広がっていく。
最初の母との関係につまずくと、それから先がうまくいかないのは当然である。
学校に行くようになると、友達との関係がうまく築けない。
いじめを経験する可能性が高い。
友達がいっぱいいるひきこもりの人を見たこと聞いたことがない。
友達がいないで、孤独で、孤立している。
この人との関係を学習しなおすこと。
それのための第一歩として、分析は養育史を聴いていく。
そこに親子関係や、家族のあり方がみえてくる。
残念ながら我々は、育つ過程の家族のなかで傷ついて来ている。
それは意図的というより、無意識であるケースが多い。
子どもを産み育てる母自身が、またその母から傷を受けていて、それがどんどん下の代にコピーされ連鎖していく。
そうされるほどに傷は大きく深くなり動けなくなる。
分析によって、心的外傷(PTSD)といってもよいこの心の状態を癒し、他者と再結合することをめざすのである。