阪神大震災

支局長からの手紙:初めて巡った「1・17」 /和歌山

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090202-00000149-mailo-l30

2月2日13時2分配信毎日新聞前々回の当欄で、「阪神大震災」取材班に加わった藤顕一郎記者が、2組の夫婦のきずなについて書きました。今回は「負い目」を感じながら今年1月17日、初めて現地を巡った私が報告をします。午前6時に和歌山の自宅を出て、電車で神戸に向かいました。真っ暗で厳しい冷え込み。「14年前、こんな時間に被災した多くの人たちは、どれほどつらく心細かったことか」と、今さらながらに感じました。発生直後、全国から多数の記者が被災地に駆けつけましたが、富山支局でデスク役の私は任地を離れられず、悲惨な実情は報道を通してしかわかりません。だから後々まで「大阪人なのに、震災を知らない人間や」と、負い目を感じ続けてきたのです。まずは神戸市中央区の東遊園地に向かいました。ロウソクをともした多くの竹筒で毎年「1・17」の文字をかたどり、たくさんの市民が「5時46分」に合わせて追悼する場所で、多くのメディアが取り上げます。ここで、期せずして和歌山の人たちと出会い、「負い目」という言葉を聞かされました。この公園で2年前から、茶がゆなどを参加者に振る舞っている「紀州梅の郷(さと)救助隊」。隊長の尾崎剛通さん(59)が、みなべ町周辺の少林寺拳法仲間を中心に呼びかけて結成したもので、今回は男性約70人、女性約60人が参加。茶がゆは朝だけで1000食を用意したものの、30分でなくなるほど好評で、おにぎり、ミカン、梅干しなども配りました。「5時46分」のセレモニーでは、隊員の中学生男女8人も、深い感銘を受けたそうです。尾崎さんは「発生時に現地に駆けつけられなかったことが、今も負い目です。何かしなければと思い続けてきました」と、隊結成の動機を語ります。「いつ南海地震が起こるかもしれず、その場合は私たちが助けてもらうことに。今からお返しというのは変かもしれませんが……。この体験を通じて私たちも、『備えよう』という心構えができます」とも。能登半島地震(07年)などの救援にも参加しました。「梅干し入りおにぎりは『酸味が被災の疲れを癒やしてくれる。おいしくて保存も効く』と好評」で、「梅の郷」に親しみを感じてもらえました。私は隊と別れた後、元毎日新聞記者の先輩に同行しました。彼は発生翌年から毎年、「1月17日午前5時46分」を被災地で迎えます。いろんな鎮魂碑、追悼公園を巡り、「整然とした町並みに復活しているけれど、こうしてポツンと更地が残っているんよ」「住人の新旧割合が7対3といわれる地域もある。かつて住んでいた人が、経済的理由などで戻ってこれんかったんやね」などと教えてくれました。小さな町内の路上に、子どもたちのメッセージを手書きした灯ろうが並んでいました。「町を壊さないで」「夢はパン屋さん」などのほか「いじめがなくなってほしい」という言葉も。追悼とともに、今の心を叫んでいるのです。私の歩数計は夕暮れまでに3万600歩。最後は足をひきずるようになっていましたが、まだまだ自身に納得できません。来年の1月17日は日曜日。5時46分を、東遊園地で迎えたいと思っています。

[引用元:[http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090202-00000149-mailo-l30:title=Yahoo[和歌山(毎日新聞)]]]

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